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突然ですが、「突っこませていただきます」最終回でございます。長い間ご愛読ありがとうございました・・・って、まだ終わってないよ! さて。何を書こうか。今月も3gのノーミソ(ねずみ?)をフル回転させて書かせていただきます。 |
最終回って、何度経験しても寂しいねぇ。そのたびに「あれは書いたかな、これは伝えたかな」って読み直す。でも結構同じことの繰り返しを綴っていたりして(苦笑)。
友達の友達が急死したんだって。半年前から身体がおかしいって認識はあったんだけど、大したことないだろうって病院に行くこともなくて。で、数日前に病院にかかったら、その時点ではすでに手の施しようがないくらい手遅れの状態で、即入院。数日後には息を引き取ったそうです。40歳という若さで。
その友達が言うの。
「自分が同じ立場になった時、死ぬ間際のベッドの上で自分の人生は幸せだったって思えるのかな」
私はどうなんだろう? 幸せだったって思えるのかな? 今だったら思えるのかも知れない。19歳でこの世界に飛び込んで、やりたいことやって、形はどうあれ名前と顔が世間に知れ渡るようになって。幼い頃に抱いた「有名になりたい」願いは空に届いた。うん、好きなことを好きにやって生きてきたなって思うよ。
でも、「好きなことをして生きる」のと「好きに生きる」って違うよね。私はどちらも選んできたように思う。 |
好きなこと。今までの仕事。今これから続けていく仕事。女という動物であることを武器にした商売。そして自らの経験を生かした執筆活動。すごく楽しかったよ。たぶん、他人が言うほど苦労もしていない。常に自分を中心に置き、自分が見たもの、聞いたもの、感じたものがすべてとして生きてきた。ゆえに「好きに生きて」きてしまったんだと思う。
好きに生きるとさ、知らないところで誰かが必ず泣いているんだよね。親、兄弟、友達・・・。自分は間違っていないと信じたうえで行動しているはずなのに。
ある人に言われたよ。
「お前がやってきたことで誰かが喜んだか? 100歩譲って顔も知らないファンが喜んだかも知れない。だけどお前が一番大事にしなきゃいけない、愛すべき人間は、お前のやってきたことで、誰かが喜んだりしたか?」
喜んだ人の顔が見えない。誰も笑ってない。みんな哀しそうな目で私を見る。どうして? 私はこんなに幸せなのに。
私の幸せ=誰かの幸せじゃない。結構当たり前で簡単なことだけど、意外に忘れてしまっていること。特に「私の幸せ」が大きければ大きいほど、大切にしなくちゃいけない誰かの影が薄くなる。
てぃんくら~な仕事って、自分が一番だと、そう自分に思いこませて仕事することが往々にしてあるよね。そうじゃないと、自分がツライ。いつも気を張って、隣のライバル達に負けないよう、それでいて仲間内と仲良くやっていくためにそれと悟られないよう、「ナンバーワン宣言」を自分に言い聞かせてさ。
そんな自分でも「他の誰かのことを考えている」と思っている。でもそれは、考えている「つもり」。自分が、自分が、と視線が常に自分に向いていると、他のことがいつの間にか見えなくなっていってしまう。不思議なもので・・・。
どんどん「井の中の蛙」になっていく自分。それに気がつかない自分。結果「好きなことをやって生きている」つもりが「好きに生きている」に変換されている。
忘れないでいてほしい。 てぃんくら~な私たちがやっている仕事は、大切な誰かの悲しみや涙の上に成り立っているということを。どんな理由で、状況下で、この業界に飛び込んだかはわからない。だけど、誰かが心苦しんでいることに間違いはない。 「あたしは、この仕事であたしも周りの人も、みんな幸せにしてる」って言う人もいるだろうね。でもそうかな? 本当にそうかな? よく考えてみてよ。絶対って言い切れる? 言い切れる人なんているわけがないよ。
周りの人間を幸せにしなくちゃいけない義務なんてないさ。だけど、悲しませる必要もない。それでも私たちはこの仕事を選び、ここにいる。ここで、生を営んでいる。今の私たちにとって必要なことだから。
この仕事が自分にとって必要か否か。考えながら仕事をして欲しいと思う。必要ならば目的意識を持って。どうしてそれが自分にとって必要なのか、常に自分に聞いて。その理由がないと、周りは納得してはくれない。それがあれば、周りに必要以上の悲しみは与えない。
自分の中から必要だと思える気持ちがなくなったのなら。一歩引いてみてもいいんじゃないかな。それはいつか自分の幸せとなって戻ってくる。愛犬を撫でる。犬は嬉しそうに目を細める。それを見ている自分も心穏やかになる。それとまったく一緒でしょ。自分の幸せは誰かの幸せと同じではないけれど、誰かの幸せは自分の幸せとイコールで結ばれる。
芸事は一生をかけて学んでいくもの。幸せも、一生をかけて探していくもの。 死ぬ間際「幸せだった」と満足できる生き方、したいよね。 私は、私なりの幸せを見つけたように思います。同じ世界で生きるみんなにも、幸せになって欲しい。こころから、そう思う。私たちは、仲間みたいなものだから。
長い長い間、こんなつたない文章を読んで頂いて、心より感謝しております編集部の方々にも多大なるご迷惑をおかけし、また多くのことを学ばせていただきました。 本当に本当に、ありがとうございました。
また、お会いしましょう!
小室友里拝
2004.9.14up |
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