第2回 『ためらい』の巻
みんな、小野拓実先生って知ってる? レディコミ界ではすごーく、人気のある先生なんだよ。小野先生の作品はね、いつも私たちと同じような、等身大の人達の愛憎物語を見せてくれる。その絵のシンプルさと可愛いらしさが、むしろ切なさと残酷さを際立たせるの。ほんっと、その絵とはかけはなれて、内容はリアルなんだよね。そのへんが、私たちの心にグサっとくるんだと思うんだけどさ。 今回の「ためらい」(La・comic3月号/毎月29日発売・定価490 円/笠倉出版)は、かつて娘と夫を捨てて不倫の恋に逃げたことのある主人公亜子の再婚の物語。ところが実は、その相手というのが元夫なのよ。つまり、再婚相手の連れ子である愛理は、亜子の実の娘なわけ。けれど自分の過去を思うと、亜子は実の娘に「私は本当のお母さんよ」と、名乗れない。自分は死んだことになっているし、そのままにしておいたほうが思春期の娘の心を傷つけないですむのでは、と亜子と夫は思うわけよ。
ところがそんな嘘のつみかさねの隙間に、いろんな問題がしのびこんでくるの。娘の愛理がなつかないだけじゃなく、亜子の昔の不倫相手が、復縁を迫ってくるんだな。それが愛理に知れてしまうから、さあ大変!「お父さんが可愛そう。昔私のお母さんにも裏切られたのに」という娘に、「私はあなたのお母さんじゃないわ!!」と叫んでしまう亜子。(本当の親子なのに!!)それでもなんとか関係を清算し、家族をやり直そうとするのだけど、そんな亜子の一生懸命が、ついに思いもよらぬ悲劇的な結末を迎えることに……!!
やりきれないくらいの悲しい結末なんだけど、いつも小野作品には引き込まれて、最後まで読んでしまうんだな。そしてその残酷な最後が、ささくれのように心にひっかかって、忘れられないのよ。
昔、未明チャマはいまひとつ小野作品が好きじゃなかった。だってあまりに、結末が悲しすぎるんだもん。あまりにキャラクターたちがヤなヤツらなんだもん。でも、その救いのなさに出会い続けるうちに、考えが変わったの。「こうやって現実の私たちの姿をつきつけられることで、『これじゃいけないよ』、と考えることができたら、それでいいんだな」と。
小野作品の登場人物ってね、驚くほど人生の哲学もってないのよ。フツー漫画に出てくるひとって、善なり悪なりの美学や哲学を持って登場するんだけどさ、それがない、全く。で、それが小野作品のリアルさなんだと思うんだけど、まったくみんな『流されるまま』に生きてるんだよね。「もう少し、あそこで素直になればよかった」「もう少し、結城を持っていれば」「もう少し早く、嘘をあやまれば」「もう少し考えて、皆に相談しておけば」ってな後悔オンパレードで物語は進んでいって、にっちもさっちもいかなくなり、そしてカタストロフっていうのが、いつものパターンなんだけど、この悲しさ加減が現代人の迷いそのもので、だから人気があるんだろうなって、思うようになったの。
小野作品にはふたつの読み方があると思う。「ああ、私も、私も」って読んで、人生こんなもんよねって安心して終わる読み方と、「これじゃいけない。私は、もっと強くなろう」って読み方と。おねーたま的には、是非とも後者の読み方を勧めたいな。だってさ、人生ってほんの少し自分なりの哲学もって頑張れば、必ずよくなるもんだし。逆に流されるままだと、小さいことの積み重ねで、大事件や悲劇が起こっていくんだよね。まさに小野作品のよう~?せっかくこういう優れた漫画を読んでて、「みんなこんなもんだから、あたしもテキトーにやろ」なんて思っちゃ、勿体ないと思うんだよね。漫画は確かに娯楽かもしんない。でも、それだけじゃないって、思っているから、おいらも一生懸命書き続けている訳でさ。
ね? みんな! ほんの少しでいい、素直になろうよ、正直に、勇気をもって生きてみようよ。それだけで平凡な毎日が輝いてくるはず。本当だよ! みんな平凡な毎日を生きているんだ。その平凡を幸せにできるか、凄く不幸にするかは、心掛け次第、本当に小さなことの積み重ねなんだよ!! 幸せになるためには特別な毎日を生きる必要なんかない。ほんの少しの人生哲学をもつだけで、君は「その他大勢」ではなくなるんだよって、小野作品は教えてくれると思う。ぜひ読んで、君の毎日を素敵にしてみてほしい。君とそっくりの主人公が必ず見つかるのが小野作品。きっと主人公に「こうしなよ!」と叫びたくなると思うんだよね。それはきっとそのまま君自信の人生へのエール。それを実行すれば、きっと君は幸せになれるよ!
■さかもと未明
OLから漫画家へ。レディースコミック、エッセイ等各誌で連載を持ち、最近「文學界」で小説デビューも果たす。著作は「ゆるゆる」(マガジンハウス刊)「だって幸せになりたいんだもん」(朝日ソノラマ刊)等多数ありのスーパーお姐さん。