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元ヤン・AV女優・タレント・作家etc.と、一筋縄ではいかない肩書きを持つすぎはら美里。某民放テレビ局プロデューサーで、目には見えないセーターがいつも肩にかけられているマーキー。この両極端な男女2人による赤裸々な往復書簡。
エロ話から一転、今回のテーマは「老・病・死・寿命」??……マーキー、ど~せまた女のコに「難しい事語る男って大人♪」とか言われたんでしょ。わかりやすいわねっ。子供かっ!(笑)
さて。死生観は誰もが一度は考える哲学ですが、今回はみりの妹と母の話。
妹は母の死をきっかけに昨年葬儀屋に嫁いだ。毎日様々な葬式仕事をしていて「死」についてよく考えるようになった。妹の話を聞いていると死と生は真逆のようで、実は同じ。隣り合わせという事がよくわかったりする。
妹は毎日いろんな終わり方を見ている。大往生(※)で亡くなったばあさんから事故や災害で亡くなった方、自ら命を終わらせた人。どんな最期であろうと誰もが頑張って生きてきて、そしてその肉体を大切に葬り、残された遺族の生き方をも見る。妹は一般的仏教徒なのだが、生とは修行で死とは安らぎだと言っていた。
「生きるって凄く大変な事で、みんな頑張って生きてくじゃん。で、ある所に到達すると、一旦そこで区切りをつける。未練とかやり残した事も全てひっくるめて、一旦終わるんだよね。でもそれは完璧なの。だから死んだらどうなるかわかんないけど、完全な終わりではないと思う」
子供の頃、鼻くそいっぱいつけて甘ったれてたあの妹の口から高僧のような言葉。みんなちゃんと誰かに影響受けて成長してくのね(感涙)。
二年前に母が癌(がん)で亡くなったのだが、生前、死んだらどこに行くのかなんて話をしていた。母は「じゃあ死んだらどこに行くか教えに来るわね♪」と言っていたのに未だ知らせはない。妹とまだかまだかと待っているが、そん時になりゃわかるから楽しみにしとき思考の人だったので、敢えて知らせに来てないようにも最近思う。ただ母は物凄く頑張り屋だった。小さな塾でたくさんの生徒に数学以外にも人柄で人生を教えていた。肉体はもう存在しないが、母の思いや念は今も残る。それにたくさんの人が影響され、支えられ歩いてる。みりは母を物凄く尊敬しているが、みりはまた別の人間だ。誰とも似ていない自分で誰とも違う生き方をし、死んでいく。喜びも悲しみも後悔もどれも素敵な経験で、なくてはならない絶対のものだ。
どんな終わり方をするのか? そんな先の事なんてわからない。だって今は生が経験で重要だから。生とは「生きる」という事だ。どんなにやり尽くしたって後悔は必ず残る。それでいい。死ぬ瞬間に訪れる走馬灯は本当の自分を知る事。それもまた始まりだ。