父の死をきっかけに壊れた家族
「私は、一人娘なんですよ。地元では結構大きな家で、お父さんは言ってみればお坊ちゃんで、お金持ちだった。でも私が7歳のとき、父が病気で他界したんです。それからです。母が介護疲れと寂しさで、ちょっと変な感じになっちゃった。もともと凄く仲のいい夫婦だったから、一人が耐えられなかったんだと思う。母がとにかく私を溺愛して、お外に出すのも嫌、という状況になっちゃった。10歳を過ぎた私にまだ母乳を飲ませようとするんです。いらっしゃい、って膝の上に乗せて、おっぱいをはだけて。もちろんもうおっぱいなんて出ないですよ。でも飲むふりをしないと怒る。そんな状態で。
母は父が死んでしばらくしてから、福祉法人で働いていたんです。仕事はできる人だと思う。頭がよくて、美人で。しかも華やかなんです。だから母が家ではそんな状態だなんて、誰もわからなかったと思う。でも一度家の敷居をまたぐと、もう私にべったり。離れないんです。私もだんだん疲れてきちゃって。登校拒否になって。でも母は私が家にいたほうが嬉しかったみたい。何も言いませんでした。
でも私はずっと辛かったんです。いつも母に赤ちゃん扱いされているうちに、『このままじゃ殺されてしまう』って気分に捕われるようになって。実際、よく私の首を絞めて『死のう』って言うんですよ。夜寝てると突然。母のことは狂ってるって思ってました。何度か警察に行きましたよ。11歳から14歳くらいまでの間に何度か。でも、母は外ではちゃんとしてますし、家だってお金に困っているような家じゃない。結局私の狂言だろう、みたいな扱いで、何もしてもらえなかった。これじゃ駄目だ。この家にこのままいたんじゃ殺される。そう思って、家出を何度か。でも子供だし、お金もないし、行くとこないじゃないですか。結局帰ってくることの繰り返しで。だんだん夜の町に出て行くことが多くなりました。そのほうが行く場所があったんです。男の人が声をかけてきて、泊めてくれたり、一緒に住もうって言ってくれたり。それから住込みで働いてもいいよ、なんて言ってもらえることもあったから」
「美しさ」という修羅
一気にディープなところにまで進行してしまった彼女の身の上話に、私は戸惑ってしまった。何度も取材メモと沙夜加の顔を見比べてしまう。その顔は、そんなことを体験してきたとは思えないきれいさだった。けれどもそのきれいさゆえに、きっと話は本当なのだろう、と思わずにいられない。誰もが彼女に声をかけるだろう。抱き締めたいと思わずにはいられないだろう。女の私でさえもそんな気分になるのだ。彼女は生まれながらに「美しさ」という修羅を背負わされた子なのかもしれない。
「学校はじゃあ、ほとんど行ってないの?」と聞くと、「そうなんです」と頷く。小学校から高校までエスカレーターの私立に通っていたが、小学6年生の時、担任の先生に体を触られて怖い思いをし、学校が嫌になって中学の途中から行かなくなったのだという。
「だから、中学中退ってことになるのかな?」
とてもそうとは思えない頭のよさと、人当たりの柔らかさだ。ずっとずっと、綿菓子みたいに、家族に大切にされてきたような雰囲気。お菓子のように甘い声で、笑顔を交えながら、ときどき首をかしげながら沙夜加は続ける。
14歳で29歳のホストと同棲
「最初一緒に暮らしたのは29歳のホストです。いかにもそれふうの、金髪のハンサムな人でした。私が14歳の時かな。女の扱いに慣れているって感じで、優しくて。だから怖くなかった。頭を撫でてもらうのが好きで、すぐに彼の1LDKのマンションで暮らすようになりました。
彼は私が処女だってことをすごく楽しんでる感じで。週に一度、一本ずつ指を入れていくみたいなやり方で。だから処女貫通までに2ヶ月。8回くらいかけてされました。8回目は指が4本入るからもう入るねって言われて、彼のを入れられたんですけど、すごく痛かった。終わると彼は『これで大人になったね』って言って、ご機嫌で鼻歌歌いながらシャワーに行ったんです。早くさやもおいでって言うんですけど、なんだか悲しくて。