優しい彼なのに物足りない……
「私みたいな娘が情けないのか、それとも昔みたいに私を溺愛したり殴ったりしないように逃げて、という意味なのか、わからないんですけど。ただ、『ああ、駄目なんだな。うまくはやれないんだな』と思ったのを覚えています。お金は置いて出てきました。
母は私のことなんて見ないふりして、なんだか大きな人形を膝に乗せてた。『かや』って呼んでました。かやは言うことを聞くから、お母さんには楽なんだと思います。それからは会ってない。でもそれが私にとっては凄く大きな出来事で。このままじゃいけないと思った時、ちょうど冬場で学校の願書受付にも間に合ったんで。それでトリマーの学校に行って。今年の6月から犬の美容院の就職見つけて普通に働いているんですけど」
けど……と沙夜加は語尾を濁した。どうやら本当に満足、というわけではないようだ。
──今は彼はいるの?
「います。とってもいい人。小さい会社をやっていて、結婚しようって言ってくれます。私の過去も知ってて。でも優しく髪を撫でて大切にしてくれる。セックスも優しいんですよ。丁寧。前戯40分。入れて40分。そのあと優しく髪を撫でて30分って感じで……」
「最高じゃない。でもどこか物足りない?」そう聞いたら、「そうなの」と沙夜加は困ったように首をかしげた。
「どこか物足りないの。雨や台風の中にいる時がジャストアライブって感じで、生きてる感じがするので。彼が温かい家を用意してくれると、ありがたいと思うんだけど、ああ、ずっとここにはいられないなって思って、悲しくなっちゃう。それでかもしれない。今日、ヌード撮る仕事したいと思ったのは。私、またどこかで働きたい気持ちがあるんです。SMクラブとか。ぶったり、ぶたれたりがどこか懐かしくて。
ただ、モノみたいに扱われて、射精するための道具にさせられるのは辛いんです。こんな私でもまだ自分が大事、みたいな。でもすごく優しいお客さんや、とても悲しそうなお客さん、寂しそうなお客さんもくるんです。それで続けられた。そういう人は私を喜んでくれたし、私も嬉しかった。だからできれば女王様で、男の人と激しい感情を共有したいの」
危険で甘い蜜の匂い
沙夜加を見ていて、彼女はもしかしたら半年後、トリマーをやめてまたお店にいるかもしれないと思った。けれど、もしかしたら誰かと結婚して幸せになっているかもしれないとも思う。できるなら、そうであってくれたらいい。幸せなお嫁さんがとっても似合う、そんな夢みたいな女の子なのだ。沙夜加は「子供は欲しいけど、母親が私にしたことをしてしまいそうで怖い」とも言う。でも、彼女はちゃんとやれるんじゃないか、と私は思った。これだけ分析して、自分と向き合ってきたんだ。いつか彼女はその恐怖を乗り越えてくれるんじゃないかと思う。いや、思いたい。
「今日はありがと。できるだけ、トリマー続けるんだよ。もう高い服やなんかは、いらないんでしょ?」。そう私が言うと沙夜加はまた首をすくめ、ふにゃふにゃした声で、うふふ、と笑った。そうなの、もう物はいらないから、と。そして赤ちゃんみたいに指をかむ。私は彼女のお母さんのような気分になる。彼女を家に連れて帰って、お人形のように飾っておきたい。そして毎日抱き締めていたい。激しい衝動のようなものが私の体を襲った。
頭のうしろが、熱い。沙夜加はある種の寂しさを持った人間にとって、何か心を掻きむしられる、危険で甘い蜜の匂いをさせる女の子なのだった。
(文中はすべて仮名です)
2003.11.28up